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【京都】生きて帰った元特攻兵 恥じる息子に両親がかけた言葉[09/18]

【京都】生きて帰った元特攻兵 恥じる息子に両親がかけた言葉[09/18] (1)

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坊主 ★(発起人)

朝日新聞デジタル

航空隊員だった頃の木内直さん(木内さん提供)
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家族に別れを告げに行った際の「最後の写真」。後列の制服姿の男性が木内さん。前列で腰掛けているのが両親=木内さん提供
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予科練に合格した際の記念写真。日の丸の左端で左手の上に右手を重ねる青年が木内直さん=木内さん提供
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180914002546_comm.jpg

 73年前の晩夏、京都府亀岡市に生きて帰ってきた元特攻隊員の男性がいる。「もう二度と会えない」と家族や友人と涙で別れ、死ぬ覚悟を決めて出撃の日を待ったが、その5日前に終戦を迎えた。恥ずかしさでいっぱいの帰還だった。しかし、両親は18歳の青年を大喜びで迎えた。

 男性は同市曽我部町に住む木内直(ただし)さん(91)。現在の同市千歳町の出身で、パイロットは幼い頃からのあこがれだった。亀岡農学校に進学後も空への思いは消えず、海軍飛行予科練習生(予科練)を志願。校長は「農学校からの受験は初めてだ」と喜び、全校生徒の前で紹介した。

 心躍らせて鳥取県の美保海軍航空隊に入隊したのは1943年10月。だが、待っていたのはバッターと呼ばれる「軍人精神注入棒」で尻を殴られる毎日だった。行進がそろわない。ハンモックを時間内につるせない。そのたびに教官が「気合が抜けとる」とバッターを振り下ろす。痛みで仰向けに寝られず、「なんでや」と忍び泣く仲間もいた。

 44年5月、1週間の休暇が与えられ、「親兄弟に最後の別れをしてこい」と命令が下った。七つボタンの予科練の制服を着て実家に帰ると父政一さん、母ミツエさんは驚いた様子だった。「これが最後。もう帰れん」と伝えると、2人の目から涙があふれた。両親が慌てて親戚を集め、「最後の写真」を撮った。

 配属先は鹿児島県の航空基地。我が物顔で飛ぶ米軍爆撃機B29の編隊に圧倒的な戦力差を感じたが、そんな感想は口にはできない。出撃する特攻隊員の先輩を見送る度に「自分も続かなくては」と気を引き締めた。精鋭機は失われ、「赤とんぼ」と呼ばれた複葉の練習機で夜間の実戦訓練を繰り返した。敵機の攻撃を避けるためだったが、自機の位置を見失って墜落する事故が続いた。

 45年の8月に入り、上官が言った。「お前が突っ込むのは20日や」。爆弾を積んだ「赤とんぼ」を特攻機としてあてがい、沖縄の海で敵艦に体当たりせよとの指示だった。「一機一艦」を掲げ、死ぬために厳しい訓練を重ねてきた。「覚悟しているので何も怖くはない。自分の番が来たんや、と思ったぐらいだった」

 終戦はあまりにも突然だった。「わしらが残っている。なんで負けたんや」。仲間同士で泣きに泣いた。意気消沈する中、両親に最後の別れを告げた1年前の光景が頭をよぎった。亀岡駅でも旧友たちが涙ながらに見送ってくれた。「生きているのがおかしいぐらいだ。恥ずかしい」。郷里を思うほど気持ちが塞いだ。

 夏が終わる頃、帰るはずのなかった亀岡に着いた。両親は木内さんを見るなり「よう帰れた!」と声を上げた。自分を見送った集落の人々も帰還を喜んでくれた。敗戦を悔やみ、生きて帰ることを恥とばかり思っていたが、郷里の人々の意識はまるで逆だった。誰もが「早いこと戦争が終わって良かった」と感じていることに気づいた。

「生きている間に経験残したい」

 木内さんが大切に保管する古いアルバムには、予科練や航空隊で過ごした当時の写真90枚以上が貼られ、脇には1枚ずつ手書きの説明が書き込まれている。

 予科練に合格した直後の写真には、日の丸を掲げた友人らの笑顔の中で緊張した面持ちの木内さんが写る。一時休暇の際に家族や親戚と撮った「最後の写真」では、両親がこわばった表情を浮かべている。予科練の行軍や柔道大会、「赤とんぼ」の前に立つ仲間の写真もあり、当時の雰囲気を知る上で貴重な記録だ。

 木内さんは戦後70年の2015年、終戦記念日に初めて体験を短い手記にまとめた。家族との会話でも戦時中の話題になることはなかったが、最近になって「生きている間に経験を残したい」と思うようになったという。

 長男の清孝さん(61)は手記を読んで初めて「父は大変な思いをした人生だったと知った」と話す。(安倍龍太郎)

朝日新聞デジタル 2018年9月18日09時51分
https://www.asahi.com/articles/ASL8Y5RLLL8YPLZB011.html

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