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【京都】「侠客の家に生まれ」 大沢善助氏、京都財界のリーダー ライバル丸のみ[09/22]

【京都】「侠客の家に生まれ」 大沢善助氏、京都財界のリーダー ライバル丸のみ[09/22] (1)

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坊主 ★(発起人)

日経電子版

日本経済新聞 2018/9/22 5:30
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO35003220V00C18A9000000/
http://www.nikkei.com/content/pic/20180922/96958A9F889DE1E7E2E2E1E0E0E2E2E7E2EBE0E2E3EAE2E2E2E2E2E2-DSXZZO3500326005092018000000-PN1-1.jpg

草創期の京都財界をリードするのは浜岡光哲、田中源太郎、そして大沢善助の3人であった。浜岡、田中が名門の出であったのに対し、大沢は侠客(きょうかく)大垣屋音松の次男に生まれた。そして会津の小鉄の親分だった大侠客大沢清八の養子となる。

大沢善助に長年仕えた田中博翁が書いた「京都財界半世紀」の中に大沢の自叙伝が登場する。「私は一侠客の家に生まれ、5歳の時実母に死別し、その後2人の継母に育てられ……」とし、こう記している。

「15歳の時には、米穀商へ丁稚(でっち)奉公に住み込み、丁年(成年)に及んで自ら商業を営んで失敗し、その後、米商、相場師、魚商、陶器商、時計商と変転して種々の商売に手を染め、前半生はほとんど流転に等しい生活を送ってきた」

上流家庭の子供たちが寺子屋で講義を受けているそばで、善助は鮮魚の行商姿のわらじばきのまま縁側からにじりよって一緒に聞いた。そして彼らと同等の学問を身につけることができた。「蛟龍(こうりょう)は長く池中にとどまらず」とのことわざがある。明治16年、琵琶湖疎水工事に関係するようになった善助は世間にその才覚が認められる。

「それからはトントン拍子、ついに田中源太郎と知って京都電燈の社長となり、その経営について親譲りの覇気と侠気、苦労にみがかれた我慢と胆力、それに新島先生に培われた強い信仰の力も加わり、あの大成を収められたわけなんです。この田中、大沢の提携が両氏の後半生の事業の上に非常な力となった。両氏の性格は全く違っていたが、長短相補い、相伸ばした」(「京都財界半世紀」)

善助は1つ年長の田中にことごとく師事した。剛腹で容易に人に従うことのない善助だったが、田中には1目も2目を置いた。田中が「もう少し研究してみようじゃないか」と言うと、善助は1週間でも10日でもじっと待った。直感型の大沢と長考型の田中だが、結論は不思議と一致したという。

明治25年、大沢は田中の勧めで京都電燈の第3代社長に就任する。時に39歳。以来、74歳で退任するまで35年間、社長として采配をふるった。その長期にわたる積極的な投資、経営活動はたぐいまれなものであった。福井や大分に支店を構える一方、朝鮮視察旅行の途次、釜山電燈を創設、また台湾電気を設ける。明治43年には脱疽(だっそ)が再発して右足を膝の下から切断するという大手術を受けるが、電気事業の大飛躍時代という流れを背景に大沢の積極策は衰えない。相場用語でいうなら典型的な利乗せタイプであり、扇型に建玉を膨らますにぎやかさである。

もっぱら攻める側に立っていた大沢が守りに回るのが明治44年のことだ。ライバル京都電気の登場である。社長は大阪財界の惑星として暴れ回っていた守山又三。官界の利け者大浦兼武をバックにのちに代議士になり京都電鉄の社長になる。北浜や三品市場では「無理山無茶三」と恐れられていた。そんな守山だが、京都電燈を相手に一戦交えようという時に、人もあろうに眼下の敵大沢善助に金融の依頼してきたのである。大沢の侠気を当て込んでいたのかもしれない。

守山は自社株を担保として大沢に差し出す。これより先、大沢は側近の田中博翁の名義で京都電気の総株数4万株のうち1万6000株を市場から買い集めていた。初めから京都電気をのみ込むつもりだったと思われる。翌明治45年、京都電気は京都電燈の軍門に降った。奇才守山又三も大沢にはかなわなかった。

「京都電燈の投資事業たる釜山電燈の経営、日本水力、大同電力などの電気事業に関係し、帝国火災、世阿弥ホテル、京都陶器、京都商工銀行その他十指にあまる銀行、会社に関してよくその発展に貢献した」(実業之世界社編「財界物故傑物伝」)=敬称略

信条
・新島襄の感化を受け、キリスト教に帰依
・剛腹で容易には人に従わない
・大筋をつかめば直感的に判断できる(「京都財界半世紀」)

(おおさわ ぜんすけ 1854-1934)
 安政元年京都出身、侠客大垣屋音松の次男に生まれ、幼名は松之助。父の親分で、会津の小鉄の親分でもあった大侠客大沢清八の養子となる。各種商売に手を出すうち新島襄に知られキリスト教に帰依する。明治22年田中源太郎らと京都電燈を創設、同25年社長に就任。昭和2年まで35年間在任。釜山鉄道、日本水力、大同電力などに出資、長く京都商工会議所副会頭を務めた。家督は長男徳太郎が継いだ。(写真は実業之世界社編「財界物故傑物伝」より)

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